会社の最寄り駅のエスカレータですが、まったくのろまな工事をしている上に、予定通り工事を終わらなくて、いまだに再開はしていないのですが・・・
そう今まではこうなっていて「9月1日に治れば良いなぁなんて思ってます」って書いてあったのに、その張り紙が外されているのです。
そして、今となってはもういつ回復するかすら分かりません。
こんなんでも許されるのですアメリカは・・
仕事でもそうです。
仕事上で使っている資料が他部署から送られてきて、それを元に作業をしていると、どうも内容がおかしい・・
このデータではどうしてもつじつまが合わないので作業を先に進めない・・
仕方が無いので資料を送ってきた元の部署に問い合わせると・・
「データを送り直したのでそちらを見てください」とな・・
そう、「すみません」とか「間違ってましたゴメンナサイ」という一言も無いのです。
まあ、外国人の文化は謝らないって言いますけれど、日本なら「すみません」どころか「○○が△△したので××で1日古いデータを使ってしまったので、□□の値が☆☆ずれています」とか、絶対間違えた原因とかどう間違えていたかを説明する部分が有るのが普通なんですが不思議です。
でも、私も最近そういう文化を分かりかけてきたので、自分が他部門へ送った資料が間違っている時も、アメリカ流に「あ、もう一度送り直したから、こちらを見てください」みたいな感じで対処します。
でも、こちらの人ってそういう場合でもちゃんと「Thank you」って感じなんですね。
だから、謝らない文化ってのは日本人の理解では自分が悪いと思っていても批を認めないって感じの認識だけれど、どうやらこちらの人たちの文化ではあまり些細な事では他人の過ちを責めないというか、「そんな事『過ちだ』なんて大げさに受け止めるのは日本人だけだぜ」みたいな感覚なのかもしれません。
日本なら、仕事上で大きな問題が発生したりすると、まずは自分の部署のせいではないと、組織の間で責任のなすりつけ合いが始まります。
その責任のなすりつけ合いで負けた人(部門)はひたすら責められて、何故そうなったかと報告書を書かされ、あげくに責任のなすりつけ合いに勝った部署では、ここぞとばかりに『二度とこういう事の無いように再発防止策の報告を求めます』なんてまるで「川に落ちた犬は棒で叩け」とばかりに攻撃の手を緩めません。
日本の外側から見ていると、日本人の多くは韓国人の事を良く思っていないのに、性根は同族です。
顛末の報告書を作ったり再発防止策(←大概の場合”策”なんて言ったってたいした物では無く1ヶ月もすれば忘れて励行されないような方策)を作るのにエネルギーを使うよりも、責任のなすりつけ合いで勝利したとしても、同じ仕事を共同で進めている目標を同じくする仲間なのだから、どう修復していくかとか、この失敗をリカバリーして最後は成功というゴールに辿り着くかと言う事に一丸となって力を使っていくべきだと思います。
しかし、日本人てのはまずイチから十まで”どうして”とか”なぜ”とある意味それを明かしても何も生まれない過去の事ばかりにエネルギーを消費するのです。
そう考えると、アメリカンな失敗や過ちに目を向けるのでは無く、じゃぁどうしようか?とか、この先どうするの方をメインの視野としている方が絶対に良いと思います。
まあ、そんなだから同じ失敗を何度も繰り返すって言われればそういう所も有りますが・・
なんか、私としてはなんだかんだ言いながら、そういうアメリカンな方が性に合っているように思います。
だからエスカレータの修理は気長に待つ事にします。
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「都合の悪い事は無かった事にするアメリカ」への2件のフィードバック