弱いものが、自分より弱いものを見つけて虐める日本人

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アメリカで生活して、その間も務めていたのが日系の企業だから、仕事の関係で日本に居る日本人と一緒に仕事をしなければならないこともしばしば有った。
そういう状況の中、本当に日本人はなんて嫌な民族なんだと痛感したのが、今日話題にする内容。

日本ではしばしば全国紙の新聞で「○○電鉄の運転士が始発電車の運行時間に寝坊してしまって、始発電車が運休になってしまいました、この影響で○百人の足に影響がありました」というような記事を見かけます。
又は「○○銀行のシステムにトラブルが発生し、一部のATMが2時間使用できませんでした」とか・・・

こういう話、ニューヨークでは一切ニュースに成りません。
なぜなら日常茶飯事だからです。

ニューヨークでも一応電車もバスも時刻表があります。
でも、だいたいその通り運行されていませんし、何かの理由で勝手に間引きされていたりします。
その中には車両故障などの場合も有るでしょうが、運転手が寝坊して出勤してこなかったからという事もしばしば有るのだろうと思います。
特に朝早い時間で1時間に2本しか無い電車が1本Cancelされたりすると30分以上待たされて思っていた時間に目的地に到着できないという事もあります。
でも、こちらではそういう事も起こり得ると思って自分でリスクヘッジしなければなりません。

一方日本では、そんな事があるとマスコミが電鉄会社を攻撃し、その結果電鉄会社の偉い人たちが会見で頭を下げて謝るという事にまで発展します。
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でも、本当にそんな事が必要なのでしょうか?
”○百人の足に影響”って本当なの?
そして、それがどれほどの問題なのって思います。

それなのに、電鉄会社はマスコミの吊るし上げにあって「二度とこの様な事が起こらないように、再発防止に・・・」って言わされます。
なぜその記者会見で電鉄会社の人は「人間なんだから寝坊だってするさ!お前らも『絶対寝坊はしないって』言えるのか!」ぐらいの事は言えないのですかねぇ・・

で、こういう現象、日本人の社会でよく見かけます。
会社でもそうです。
何かトラブルやミスが発生した時・・・
まずは、犯人探しが始まります。
責任の擦り付け合い。
言った言わないを初めとして、まずは何処に責任があるか・・

この”何処”という所にも着目するならば・・・
よくあるのが、発注者と下請けの関係で下請けの責任とか・・
まあ、100%下請け側のミスだったら、発注者側が怒るのも分からなくはありませんが、多くの場合発注側にも非が有るにも関わらず、立場の優位性で責任を下請け側になすり付けるなんて「下町ロケット」で出てきそうなケースも少なく無いようですよ。

さらには同じ会社内での部門間でも、どこの部門の責任だとか、どこの部門のミスだとか・・
さらには部門内でも誰の責任だとかだれのミスだとか・・

そしてもっとも醜い光景が、犯人が見つかったとたんに、それを責める立場が現れて攻撃し始める。

特に発注者と下請けのような構図では責める権利を得た発注者側の人間が、ある意味ストレス発散の為かと思えるぐらいに責め立てます。
なぜ、そのような事になったのか、責任のある立場の者から説明と謝罪が必要。
再発防止策はどのようにするのか、納得の行く説明を求める。

まあ、ネチネチネチネチと・・・
あまりに度が過ぎるとほんと「家では奥さんにそれほど虐められてるから、だからここぞとばかりに自分がされている様な事を他人にする事でストレス発散してるんですね」と言いたくなるほどに・・・

でも、同じような問題がアメリカ社会で有ったら・・・
上記の日本でよく有りそうな事はほとんど起こりません。
というか犯人探しに必死になることすら稀ですから、誰の責任とか誰のミスとかそういう事を言う人が居ません。
なぜなら、そういう事をしても時間と労力の無駄で、どちらかというとその問題をさっさと解決するために労力を使おうよという感じです。

そう、日本で起こっている犯人探しから、責任者の謝罪とか、再発防止策の策定とか・・・
すべての事がネガティブで、それによって何も生み出さない、マイナスのためのエネルギーの消費だからです。
そんな事に時間と労力をかけるのだったら、もっとダイレクトに起こった問題の解決のために動こうよというのが彼らの考え方です。

まったくもってその通りと思います。
特に同じ会社の違う部門とか、同じ部門内の管理職とその部下とか先輩と後輩とか、本来なら同じ目標のために共に力を合わせて働いている者同士で、そのようなネガティブなエネルギーを消費しても絶対に良い事は得られません。

では、なぜ日本人はそういう事をするのでしょう?
それは多分、日本人という民族のDNAに自分より弱いものを見つけて、それを虐めることで不満を晴らすという行為が染みついているのだと思います。

その昔、士農工商という不平等な身分制度を納得させるために、その下の身分として差別を受ける非人(ひにん)穢多(えた)という階級を作り、それらの人たちを差別し蔑むことで自分たちの身分を受け入れていたという歴史にたどり着きます。

そう、それが日本人民族の根底に脈々と流れている精神なのです。

ここ、数十年、学校や子供の虐め問題がたびたび話題になります。
”虐めはダメだ””虐めを無くそう”と言われますが、それは子供たちだけの中で特別に起こっていることではなく、日本民族の中、大人も子供も誰しもが自分より弱いものを見つけて虐めている社会と世の中に暮していて、脈々と虐めのDNAを引き継いでいるのが日本人なのです。

口先だけで、子供の問題だけに限って言ったって無くなる訳はありません。

これから生まれてくる日本人全員の遺伝子操作でもして、自分に甘いけど他人にも甘いあっけらかんとしたアメリカ人のDNAでも組み込まないと、この超ネガティブな思考活動は無くならないでしょう。

私も純日本民族ですが、この点だけはホント日本民族の残念なところだと思います。

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