もったいないという言葉

以前もこういう日記書いたけど、最近ニュースで思うこと。
「船場吉兆 食べ残し料理事件」や「「魚きん」秋田店、盛り合わせに使い回し」なんかでは、やった方の言い訳として「もったいないから」という事をよく耳にするが、この「もったいない」の言葉は我々が常識的に思う、「食べ物を粗末にするのがもったいない」という意味とはまったく違う気がする。
言い換えればというか、その言葉の前後に隠された行間を明らかにすると「この素材でまだまだ客から金を取れるのにその手を使わないなんて”もったいない”」という事だと思う。
単にまだ食べられるものを粗末にするなんてもったいないという意味であれば、客が食べ残したものはまかないに使えば良いし、それでも有り余るぐらいなら店員に持って帰ってもらって家族の夕食にでも使えば良い。
魚屋だって当日に売れ残るようなら、閉店間際に来た客に「これ今日までの賞味期限だから無料で差し上げます」といって何か商品を買ってくれた人にあげてしまえば、ちゃんと食べてもらえてもったいなくは無い。
要するにまだまだ金になるのにタダでくれてやるのがもったいないというだけなのだ。
「もったいないと思った」と言えばそれを聞いた人からは「そうだよね、世の中には食べられなくて餓死していく子供たちも居るのに、食べ物を粗末にするなんてバチが当たるもんね、だから食べ残しを次の客に出したあんたは偉い」と思ってもらえるとでも考えたのだろう。
逆に「そのもったいないは、お前の欲が言わせた強欲を現す言葉なんだよ」と言ってやりたい。
「材料費や人件費や燃料比が上がっても値上げする事が出来ず経営が苦しくてついついやってしまいました」と言えばその方がまだ良心的だと思う。
ま、あのささやき女将は苦し紛れの言い訳を前社長にささやきで指南しておいて、本来ならそれが録音されてばれた時に「社長自らが自分の言葉として謝罪をしなければ成らないところ、出すぎたことを致しまして恥ずかしい限りです」とでも言うならともかく、「マイクがあんなに高感度とは知らずに・・・」ってさぞ、声を拾われているとは思いもよりませんでしたみたいな事をシャーシャーと言えるぐらいだから、いまだに自分達がやってきた事の何が悪い事だったのか分かっちゃいないだろう。
と思っていたら、倒産だそうな・・・
でも、しばらくしたら名前を変えて同じ経営陣で出てくるような気も・・・










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