小うるさいオヤジ(2004/04/18記)

よしをは結構小うるさいオヤジです。

って、そんな事いまさら宣言されるまでも無く私のホームページを少し読んだ事が有る人なら分かりきっていることでしょう。

しかし、今日はその小うるさいよしをを思いっきり正当化してみたいと思います。

よしをは結構小うるさいオヤジです、それはホームページ上だけではなく、実生活でも結構小うるさいオヤジです。
会社では共有スペースが整理されていなかったりすると「ナンダよこれはぁ〜」と大声で言いながら整理を始めます。
部下や後輩がちょっとした思い違いや手抜きでミスをすれば「ダメだろう」の一言で済むような事はまず無く、どうしてそうなっているのかとか、なぜ手抜きをするとミスに繋がるのかなど結構ネチネチと諭します。
一見どうでも良いような文章の言い回し一つにしても「この文章だと意味が変じゃないの?」と、重箱の隅的指摘も躊躇せずバシバシ行います。

おかげで私の部下や後輩からはそれほど良い様には思われていない事でしょう。
もしかしたら「よしをさんに説教食らった日には、交通事故に遭ったと思うしかないよなぁ〜」なんて若手の間で言われているかもしれません。

しかし、まわりを見渡してみると後輩や部下に、あまり小うるさい事を言う人間は昔に比べて減ってきているように思います。
特にあと数年もすれば部下を率いるように成るだろうという年代の人たちは、どちらかと言うと上下関係がある中でも結構仲良くやっているように見受けられる事が多くなりました。

私なんかは若い人たちの会社帰りの飲み会があっても「よしをさんも一緒にどうですか」なんて誘われることは、よほど殊勝な人かゴマをするべき人を判断できない人のどちらかしかあり得ませんが、まもなくリーダーに成るような人たちは結構上手くやっているようです。

しかし、私はそれが必ずしも良いとは思いません。
先輩・後輩、部下・上司の間柄では必ずしもフレンドリーに仲良くやれる事が良い事だとは思えないからです。

部下が自分達の都合で仕事をこなしたり、自分達の判断で「このぐらいやっとけば良い」というレベルで仕事を片付けていては、上手く行かないことも少なくないはずです。
そんな時にハッパを掛けたり尻を叩いたりしなければ成らないことも多々有るでしょう。
先輩と後輩の間柄にしても、いつもやさしく教えるだけでは後輩は成長しない場合だって有ります。
時には叱ったりしてやることで新たに憶えたり学んだり出来る事も有るはずです。

後輩から見て先輩、部下から見て上司というのは、尊敬や信頼も必要ですが、それと同じぐらい、怖さや有る意味での鬱陶しさが有ってはじめて上手く機能する関係ではないかと思うのです。

同じ事が親と子供の関係でも言えると思います。
自分が子供の頃どうであったかを思い返せばすぐに分かる様に、10歳や15歳で見えている世界や、知っている世界や、判断力などと言うのはたかが知れています。
そんな知れている判断力を元にした行動は時として間違っている事だって少なくないでしょう。
親はそれを正しく導いてやらなければなりません。
そんな時、どう説明したって親の理論が、限られた世界しか知らず、限られた範囲しか見えない子供には理解できない場合、最後には「親の言う事を聞きなさい」という子供からしてみれば理不尽だと思える切り札を使わなければ成らないのです。

昔から、というか、昔は「地震・カミナリ・火事・オヤジ」と言ってお父さんは家庭内で怖い存在でした。
私も父親が怒るとかなり怖かった事を憶えています。
しかし、最近の世の中のお父さんが望むスタイルは、娘が18歳になる頃でも腕を組んで一緒に買い物に行ったり、大学生になった息子と一緒にツーリングに行けるようなお父さんです。
確かにそれが出来れば望ましいですが、強く叱ったり小言を言う事で思春期の子供と自分達の間に距離が出来てしまうのを心配し、子供に媚びてまでそういう関係を維持しようと考えるのは間違っていると思います。

必要な時は叱らなければなりませんし、それを子供が理解できないときは子供にとって理不尽と思われても貫かなければ成りませんし、それでもダメなら手を上げることも必要だと思います。

そうやって子供を真剣に叱ると言うのはエネルギーが必要です、駄目な事をダメと理解させるのもそう簡単じゃないかもしれません。
もしかしたら、友達同士のような親子を目指しているわけではないけれど、叱ると言うエネルギーを使っても親と子の溝が広がるだけなら無駄なだけ、とそういう考えで叱ったり諭したりしつけたりする事をしなくなっった結果の副産物が、友達のような親子であるケースも有りそうです。

同じ様に、会社で後輩に真剣に指導したり、叱ったりしても「あの人は口うるさくて嫌い」というふうに思われるのも損なので、放っておこうと汚れ役を避ける風潮が、友達関係の先輩と後輩を生み出しているように思えることも多々有ります。

友達のような関係の親子、友達のような感覚の先輩と後輩、友達のように仲の良い部下と上司、これらの間では楽な事や気持ちの良い事、楽しい事は簡単に共有できますが、努力して成し遂げないといけない事、我慢してやらないといけない事、苦労して学ばないといけない事、そういう大切な事が実現出来ない場合が有るんじゃないかと思います。

友達のような関係が一番良いと勘違いしている親や先輩や上司、または苦労してエネルギーを使って叱ったり指導したりすることを放棄した親や先輩や上司、そういう人たちが作り上げた、常識を知らないしつけが成っていない子供や、仕事が満足に出来なかったり客先への手紙や仕事上のメールに日本語で正しく文章が書けない社会人達は、彼ら本人が悪いのではなく、彼らを育てた親や先輩や上司の方に問題が有るのではないかと思います。

コンビニの前の歩道や駅のホーム、電車の中で地べたに座り込んでいる高校生を見かけますが、彼らは悪ぶる為にわざとそうしているのではなく、それが行儀悪いという事を誰からも教わっていない為、やってはいけない事だと知らないだけなのかもしれません。
本来その歳に成るまでに誰かが教えておかなければ成らないことを、誰からも教わらなかった為に悪気無くそうしているとしたら、かわいそうに思えてきます。

そう考えると、口うるさかったり怖かったりする親や先輩や上司は、本当は子供や後輩や部下の事を一番思いやっている人なのかもしれません。

私は後輩や部下や若い人たちに、常識も理解し、しつけも出来ていて、手紙やメールも恥ずかしくない文章が書け、仕事も出来る人になって欲しいです。
そうなる手助けとしていちいち小言をいう事で「小うるさくて嫌な人」と思われても、いつかはそれが私の大きなメリットとなって還ってくると信じています。

だからこれからも、アクアリウムのマーケットやアクアメーカー、アクアショップの為に変な商品やおかしな商売の仕方には、いちいちがたがた言っていこうと思います。
そうする事がアクアリウムのマーケットやアクアリスト全ての人への思いやりだと思うからです。

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