生涯学習(2004/01/04記)

しばらく前にREDさんという方からメールを頂きました。
頂いたメールの内容は

  1. Q&Aのコーナー(アクアリスト千の悩み)で肥料について「リービッヒの最小律」を引き合いに出されているが、その理論はアクアリウム以外ではあまり用いられない。
  2. そもそも、特定の元素が不足した場合に一番少ない元素の量に見合うだけの消費しかされないと言うのは、ほぼありえないことであり、必要とされる元素のバランスに見合うだけの状況でなくなった場合もでも、不足する元素以外の肥料分もある程度吸収される、但しその場合成長障害などの現象が現れる。

と言うようなご指摘内容でした。
確かにご指摘いただいたような事象は自分の経験からもよく納得できるご指摘だったので、その後何度かメールのやり取りをさせていただき、その中で参考に成る書籍として「土と微生物と肥料のはたらき」(ISBN4−540−88037−3)という本を紹介いただきました。

この本は陸上の植物に対してのものなので、必ずしも水草に応用できる内容ばかりではありませんが、値段も手ごろ(1,680円)ですし、内容も比較的読みやすく纏めてあります。
読んでみるときっと水草をやる上で応用できるヒントはいくつも見つけられると思いますので、興味のある方は是非とも読んでみてください。
(書店では取り寄せと成る可能性が高いのでアマゾンなどの通販を利用すればお手軽です。)

私が興味深かったのは腐植を微生物に分解させ易くする方法として土壌を一旦乾燥させるという方法と150度以下の温度に加熱すると良いと言う情報でした。
前者は使いこんだ大磯が貴重がられるという事の例えとして、「使わないからと乾燥状態で納屋にしまいこまれていた大磯でさえ、買ってきたばかりの新品大磯では実現できはいほど草が良く育つ」と言われますが、それはかえって微生物には格好の状態だったのではないか。
また後者は焼畑農業などの典型であり、もしかしたら水槽を再セットする時に使い古しのバーベキュー用鉄板で底床を軽く炒めてから水槽に戻してみたら上手く行くんじゃないだろうか。
と、興味やアイデアはどんどんと出てきました。

さて、本題の「リービッヒの最小律」について考えてみる事にします。
まず、この本を見る限りREDさんにご指摘を頂いた通りの内容が書かれています。
さらに「リービッヒの最小律」は、そもそも言葉としても正しくなく、リービッヒさんが唱えたのは「最小養分律」であり、それをウオルニーさんが「最小律」と補足訂正させたというのが正しい理論と用語であるという事が分かりました。
また、もしその通りの結果になるとしても非常にごく限られた環境でのみあてはまる理論で、一般的にその理論を適用して考える事は出来ない、というような事まで書かれておりました。

アクアリウムの世界では比較的よく引き合いに出され、信じているというほどではないにしても”知っている”程度の人は多いと思われる「リービッヒの最小律」ですが、こうして検証してみるとやはり迷信っぽい事柄って多いんですね。

これも一説によりますと、外国のアクアリウム書籍に記載されている内容を、誤訳・または誤って理解した人が広めたという指摘も有るそうです。
なるほど、そう考えると蛍光灯半年交換説とも似たところが有るように思われます。

悪く解釈するならば、微量元素やカリ肥料など、ちょっと特殊な水草用栄養素材を販売するメーカーやショップが、その必要性を手っ取り早くユーザーに分からせる為に重宝して使っている理論なのかもしれません。

しかし、良心的に考えると、いずれにしても植物が必要とする元素はバランス良く与えなければ成らないという総論は間違っていないわけで、成長障害が起こると言う説明もそれを経験したり見知ったりしている人には通じるかもしれませんが、アクアリウムを始めてまもない人には、なかなか理解できないことも考えられます。
そういう場合には「食べ残しに成ります」と説明した方が理解されやすいでしょう。

また結局の所、特定の元素が過剰に存在した場合には特定の苔や藻が発生しやすくなる場合も多く、逆説的に特定の元素が特に多くなってしまった場合には、悪い事が起きるという事からも、”食べ残し”的な考え方も、あながちおかしくはないようにも思います。

と言う事で

と言う事が分かりました。

但し、私は総論として肥料と成る元素は必要とされる量をバランス良く存在させるべきだと言う考え方は正しいと思います。
またその話の説明として「言うことを聞かない子供には鬼が来るよ」と言って嗜めたおばあちゃんの知恵袋的な引き合いとしてなら「リービッヒの最小律」も完全には否定されず残っていても良いのではないかと思います。

しかしながら、一通り水草を育ててみて成長障害に遭遇したり、肥料の与え方を一通りマスターしたような人には、それが「アクアリウム昔話」の中の例えであるという事を理解する必要があるでしょうね。

やはりアクアリウムと言うのは永遠に考え、永遠に学習し、そして自分で判断して実行し、その結果をかえりみるという事に終わりは無いのだなと思った出来事でした。

私のホームページで「リービッヒの最小律」を引き合いに出している所からはこのページへのリンクを貼っておく事とします。
その当時の記述には上記のような事を十分に理解せずに書いたり説明したりしているかもしれませんが、このページへのリンクを付与する事で、原文の訂正に代えさせていただきます。

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