皆さんは、こんな皮算用された事は無いでしょうか?
友人3人と(自分を含めると総勢4人で)ある場所からある場所へ移動する必要が有ります。
目的の場所までは距離にして2Km弱でバスで3つ目の停留所の近くです。
バスの運賃は大人1人250円です。
さて貴方ならどうしますか?
こういう経験をよくされている方はすぐにピンとくると思います。
答えは「タクシーに乗って移動する」でしょうね。
(全員で健康の為に徒歩で移動というのが一番の理想かもしれませんが・・・)
バスに乗ると4人で千円の運賃を払う必要が有りますが、タクシーならワンメーターで行けるでしょう。
さらにタクシーならバスが来るまで待つ必要は有りませんし、目的地のすぐそばまで行ってくれます。
料金が安くて内容も優れているならそちらを選ばない理由が見つかりません。
しかし、そのケースが2人での移動だったりすると、また選択すべき交通手段は変ってくるでしょう。
人は通常では料金を支払うものの価値や、類似した事柄の料金などを考慮して、対価を支払って購入する意味があるかどうかを比較検討しています。
また売る側の立場としても商品の販売価格を決める時に、そういった事が考慮されているものが多いです。
今回はこの様に原材料のコストの積み重ねや類似した他の商品を意識して価格設定されている物の価格を”実質の価値により設定された価格”という意味から『実質価値価格』と呼ぶ事にして話を進めます。
残念ながら日本ではバブル全盛期以降この実質価値価格を大きく外れてしまったものがあります。
それは土地と株の価格です。
以前にも書きましたがバブル全盛期はどういった事が起こっていたかと言うと
- 19xx年1月 AさんがBさんに元々1千万円で手に入れた土地を1千百万円で売りました。
Aさんは販売した差額の百万円で豪遊しました。- 19xx年2月 BさんはAさんから購入した土地をCさんに1千2百万で販売しました。
Bさんは販売した差額の百万円で豪遊しました。- 19xx年3月 CさんはBさんから購入した土地をAさんに1千3百万で販売しました。
Cさんは販売した差額の百万円で豪遊しました。これが繰り返され19xx年12月には2千2百万円になった土地をBさんからCさんへ販売し、Bさんは販売した差額の百万円で豪遊したわけです。
さて、AさんとBさんは19xx年の1年間で4百万円ずつの利益を出した事になりますが、それって本当でしょうか?
結局は1千2百万円の帳簿上の利益を3人で出して、実際に1千2百万円分のお金で豪遊したんでしょうが、その儲けは虚像と同じで、実際に何かを生み出して得た利益ではない為、利益自体が虚だったんだと私は思います。
そしてその為にその土地は実際よりも1千2百万も高い価格がついたまま、Cさんの負債の担保として銀行に差し押さえられているのです。
株についても上記と同じです。
また、同じ時期公共投資という名目で日本各地で必要の無い工事を行い、川をコンクリートで固め、清流をダムで湖の底へ沈めるという行為がこれでもかと言うぐらい行われました。
もちろん、行為自体がばかげた事であっても確かに公共投資としての効果は発揮し、ゼネコンに支払われた工事費用は雇用を生み出し、工事が行われる町や県を潤して、最終的には日本国に住む人全員に分配されました。
しかし、公共投資は全額を国民や県民が支払った税金だけで行われたわけでは有りません。
例えば県が道路やダムを作る時には、半額は国からの予算が出されますが、残りの半額は県の借金によって行われたのです。
そうして公共投資として積み重ねた県や国の借金も銀行が保有する不良債権の何倍も存在するのです。
これは局所的には誰が悪いとか、だれが私腹を肥やしたとかそういった話も有るかもしれませんが、結局はそうやって手にした虚の利益で日本に住む全ての人間が嘘の潤いを分かち合ったのだと思います。
実際には発生していない利益を虚像を作り出す事で得るその代償として発生した不良債権も、そして公共投資の為に国債発行や県の借金として発生した負債も、全てはお小遣いの前借(まえがり)と同じで、本来その時に何かを生み出してそれで手にした本当のお金ではないのです。
その時期日本に住む全ての人間でお小遣いの前借をしてしまったようなものです。
皆さんは誰しも子供の頃、どうしてもお小遣いが足りなくてお小遣いの前借をした事がある人が多いのではないでしょうか?
大人に成ってからもお小遣いやお給料を前借した経験の有る人も居るでしょう。
しかし、前借をしたら普通は翌月のお小遣いや給料は支払われない為、翌月はなんとか切り詰めて前借分を乗り切るか、または何ヶ月か掛かって前借分を返済するなど、そういった帳尻合わせを自分が苦しんで行う必要が有ります。
しかし日本経済では何をとち狂ったか今月のお小遣いが足りないから翌月分を前借し、翌月は翌月で翌々月分とそのまた翌月分のお小遣いを前借し、その翌月は・・・
という具合に、本来物を作り出して得ている正常な利益だけでは生活できずバブルの間じゅうお小遣いの前借を繰り返し行い続けてきたのです。
前借したお小遣いはいつかは返済する必要に迫られるでしょう。
虚の利益の上乗せで値上がりした土地は、いつかは元の1千万円の価格に戻る必要が有ります。
テレビや雑誌、新聞はデフレは起こしては成らない事といった言い回しで、不良債権処理の問題では統一的に反対の意見が多いようですが、そもそも虚像の価格を元に戻すという事から考えるとデフレではなく実質価値価格への回帰であり必要な事であり、仕方がない事なんだと思います。
右にふれた振り子はいつかは左に戻ります。
実質価値価格を外れたものも、いつかは実質価値価格に戻る必要が有るのではないでしょうか?
そして日本人はお金で物事を解決し資源やエネルギーを消費する便利な生活から、自分達の身近で生み出したエネルギーや食料で生活し、物を生み出す事で得た利益によりお金を手にし、そのお金の範囲内で楽しみを得る体質に戻る必要が有るのだと思います。
アクア業界の商品もまやかし商品やブランドイメージで実質価値価格とかけ離れた様な商品は、もう世の中自体が受け付けなくなってくるのではないかと思います。
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