怒れ真面目なアクアショップ店主たち(2002/12/01記)

少し前の話ですが、話題と成った「世界がもし100人の村だったら」という本を購入して読んでみました。
インターネットなどでかなり話題に成った本ですので、ご覧になった方も多いのではないかと思います。

ご興味のある方は是非とも本を購入されて読まれれば良いと思いますが、手にとってから10分で読み終わりそうな内容ですので、是非購入してくださいとはあまり言いたくありません。
ですので此処で要点だけをお話しますと・・・

「世界がもし100人の村だったら、そのうち○○人は着る服が有りますが××人は着る服が有りません」
というような事柄が延々と色々な項目について述べられているというだけの内容です。

確かに日本で暮らしていると食べ物が無い事や、病気を治療する薬や病院が無い事は考えられませんが、地球の何処かにはそういった国が有るという事を再確認させられるといった感じです。

まあ、読み終わってからは「ふ〜ん」というぐらいで、改めて知らなかった事を知ったり、衝撃を受けたり、感動したりする本ではないので、個人的には図書館で借りるぐらいで十分だとは思います。

しかし、ひとつ勉強になったと感じたのはこの本で用いられている物事の考え方です。
それは、複雑な問題をできる限りシンプルなモデルに置き換えて考える事で問題点や改善すべき内容が浮き出されてくるという手法です。
この本よりももっと前に大流行した「チーズは何処へ行った」も同様に、世の中を自分達とチーズだけに簡素化して物事を考えてみようというもので同じ手法による考え方だそうです。

そう言えば水槽だって添加剤だバクテリアの素だと色々なものを水槽に入れている管理者ほど、自分で自分の水槽状況を複雑にしてしまい、何をどう改善すべきなのかを自分から霧の中へ追いやっている人って多いですよね。
「シンプルイズベスト」ではありませんが、世の中の問題点も水槽の問題点もとりあえずできる限りシンプルにしてシンプルに考えるのが一番の近道を見つける方法かもしれません。

さて、同様にアクアリウムを楽しんでいる人の世界をできるだけシンプルなモデルにあてはめて考えてみると、その世界の中の問題点や改善すべきポイントが明確になるかもしれません。

では試しにやってみましょう。

「世界がもし100人の村だったとしたら、アクアリウムを趣味とする人は0人です」
・・・(゚゚?)・・チャンチャン

これではお話に成りませんからマイナーなアクアリウムというジャンルに免じで1,000人でやってみましょう。

「世界がもし1,000人の村だったら、そのうち4人の人はアクアリウムを趣味としています」
「毎年5人の人が『アクアリウムって面白そうだからやってみようかな』と思って60cm水槽の11点セットを購入しますが、そのうち4人の人は、自分にはアクアリウムは向いていないと判断して辞めてしまいます」
「世界がもし1、000人の村だったとしたら、そのうち100人はアクアリウムに対して興味があると言いますが、残りの900人はアクアリウムなんてやろうとは思いません。」

さて、このままではどうなってしまうでしょうか?
20年後にアクアリウム人口が24人になって、あとはそのままです。
人が老いて死に、新しく生まれた人が青年に成り、またアクアリウムに興味を持つ候補者となるかも知れませんが、上記の割合から換算するとどうしたってアクアリストが急激に増加する事とは成らないでしょう。

(ちなみに、上記の人数比率はあくまでもよしをが感覚的な判断で例としてあげただけで、実際のアクアリウム人口その他の比率に厳密に一致しているわけではありません。)

さて、以上の事で何が分かるかというと、アクアリウムに興味を持ち衝動買いにしろ何にしろ、水槽を購入してアクアリウムをやってみるという行動をする人間は無尽蔵には存在しないという事です。
また「アクアリウムって面白そう」と思って一旦アクアリウムをやってみたものの、自分には向いていないとか、大変な事ばかりで面白くないと思ってアクアリウムを辞めてしまった人のほとんどは、もう二度とアクアリウムをやる事は無いという事です。

言葉は悪いですが「アクアリウムって面白そう」と思ってアクアリウムの世界に踏み入って来る人間というのは限り有る資源だと言い替えてよいでしょう。

という事は、まず最も重要な事は「もし世界が1,000人の村だったとしたら、『アクアリウムって面白そうだからやってみようかな』と思う5人の人を、いかにして一人でも多くそのままアクアリストとして定着してもらうか」という事だと気が付くでしょう。

20年後に24人のアクアリストと共にアクア業界全体が徐々に衰退して行くのか、それとも派手な大儲けは出来なくとも104人のアクアリストと共に、消耗品の消費や生体の継続提供として地道に生き残って行くのか。
もしかしたら104人のアクアリストが興味を持つはずの無い900人の中から新たなアクアリストを生み出してくれるかもしれません。

2%の愛好者がどんどんと減少して行くか1割の人が愛好者となれるか、この違いは大きいと私は思います。(あくまでも仮定の話ですが・・・)


話は変わりますが、最近地球温暖化対策としてCO2の排出基準がどうのこうのともめております。

なぜこの様な事で、世界の各国がもめるのでしょうか?

そもそも、この問題は全世界で足並みを揃えて統一した見解で対応しなければ、一部の国で頑張って対応しても、それをわき目にCO2をどんどん排出する悪い国が有れば、削減に頑張っている国は苦労やコストが掛かるばかりで何の効果も得られず、逆に対応しない国は削減に力を入れている国が削減した分を上まわる量のCO2をバンバン排出したりすればヤリ得という事に成るからです。

先の無尽蔵には存在しないアクアリウムに興味を持つ人間と上記のCO2削減問題は同じように考える事ができると思います。

もし、あるアクアショップがアクアリウムに興味を持って始めた人に対して、自店でいかにお金を使ってくれるかもさる事ながら、アクアリウムの楽しみを知ってアクアリストとして定着してくれる為に頑張っていたとしても、他の悪いお店で値段は安いが状態の悪い生体を売りつけたり、初心者を混乱させる「使用する必要の無い薬品類」をどんどん使わせるような指導を行っていたために、それが原因でその初心者がアクアリウムの楽しさを知る前に挫折してしまい、アクアリウムを辞めてしまったとしたら、それは即ちみんなで大切にしていかなければならない貴重な限りある資源を、自店の儲けを優先させるあまりのショップによって無駄に消費されてしまったという事になります。
それは真面目なアクアショップや我々既存アクアリストの共通の利益を侵害する大変身勝手な行為であると言えるでしょう。

しかしながら現在のアクアリウムのマーケットでは、自店の売上が上がればそれで良いという考えで、状態の悪い生体を回転良くさばくだけのショップや、使う必要の無い製造原価の何百倍もするような売値の添加剤をどんどん使う事を指導する店や、商法で引っかかりそうなヤリ方で盛大な広告を打って通信販売しているような店など、限り有るみんなの資源を無駄に消費しているショップが多数目に付きます。

私のような一般アクアリストが個人のホームページでその件に関して怒りを表明するよりも何よりも、真面目に営業しているアクアショップの店主はもっともっとそういう事に怒りを持ち、アクアリストにこれから成ろうとしている人から金を剥ぎ取るだけで、アクアリストに成る事の障害となっているようなショップに対しては、「我々の貴重な資源を無駄に消費し損害を蒙っている」というぐらいの気持ちを持ち、もっとオープンに批判したり指摘したりしても良いのではないでしょうか?

それとも所詮同業者”どんぐりの背比べ”で胸を張って他人を批判できるほどの潔白な優良ショップは無いのでしょうか?


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